観光ガイド

紹介ビデオ

山野峡 県立自然公園

広島県福山市山野町にある「山野峡県立自然公園」。 天に昇る龍が玉を吐く姿にたとえられる「龍頭の滝」のある「龍頭峡」。大絶壁の「聖嶽」や質素で静かな「屏風嶽」、橋の上から紅­葉の景観を楽しめる「紅葉橋」のある「猿鳴峡」。二つの「峡谷」を楽しめる場所です。

伝説の大池 服部大池

広島県福山市駅家町にある「服部大池」。2010年全国ため池百選に選ばれました。桜­の名所としても知られています。江戸時代、時の藩主水野勝成公が旱魃対策として完成させました。人柱になったお糸、その後を追っ­たいいなずけの悲しい伝説が人々の胸を打ちます。

駅家町夏まつりサッサカ

広島県福山市駅家町で30年に渡り愛されてきたまつり「駅家町夏まつりサッサカ」。駅­家町夏祭り10周年を記念し、地域住民に愛されるよう、阿波踊り・三原ヤッサをイメージして作られたのが「駅家サッサカ」です。­駅家町マスコット「えっきゃん」と楽しく踊ってみましょう。

サマーフェスティバル~夏の1ページ

夏の1ページを綴るものといえば、広島県福山市加茂町の「サマーフェスティバル」。花­太鼓、バイクトライアル、餅投げ、ビンゴゲームなど、子どもから大人まで、夏の思い出作りで賑わいます。

News

『え~かもMAP』 配布中!

駅家・加茂・山野の3町の観光スポットや史跡・名所を紹介する観光マップ。

「この地域の将来を担う子どもたちが、わがふるさとのすばらしさを知るきっかけになれば…」との思いで作製いたしました。

現在、商工会はもちろん会員事業者や公共施設等に設置して無料配布中です。

福山北地域の魅力を再認識していただき、MAPを片手に散策を楽しんでください。

駅家町の紹介

蛇園山(じゃえんやま) 標高:545.8m

蛇園山は、備後平野北部の主峰として座し、はるか南方から眺めると、その姿が富 士山によく似ていることから、一名に「備後富士」と呼ばれています。山頂下の展望 広場まで車道が整備され、展望広場は見晴らしがよく、服部大池・福山の町並み・ 瀬戸内海から遠く四国も望めます。 ここから山頂までツツジの植えられている階段を10分ほど登ると山頂に着き、そこ は神話の昔より出雲と結ばれ、神の使いの大蛇(おろち)が住んでいたので八大竜 王を祀った高?神社(たかおうじんじゃ)があります。昔から旱魃が続くと、神前にお いて村人たちが雨乞いをするのが習慣でした。 蛇園山は、また元旦の初日の出、春の桜、夏の小中学生のキャンプ、秋の紅葉狩り など、ハイキングコースとしても楽しまれ、最近ではパラグライダーの愛好家のフラ イト風景も多くなりました。
服部大池と蛇円山

服部大池

服部大池は、福山藩主「水野勝成」が建造し、堤の長さ200m巾30mもある備後地方一の潅漑用溜池です。今から360年前着工された築堤工事は、大変な難工事で人柱が立てられ、人柱「お糸」の伝説もあり、お糸の像も堤に建立されている。平成10年に70年ぶりに改築された取水塔は、レトロ調のデザインで周辺の景色にとけこみ美しい。

春は、福山市北部の桜の名所として、家族づれや職場の仲間などで賑わう。公園もあり地域の人々の憩いの場所となっている。
服部大池

加茂町の紹介

加茂町は福山市の中心部から北方約15kmの静かな町で福山市民の手軽な観光地です。 町の北部、山野地域・猿鳴峡・龍頭峡などは昭和42年県立自然公園に指定されています。また中部高原地帯は平均標高400mの高台で、眼下に備後平野を、遠くは四国の石槌山が展望できるのどかな田園地帯です。 このほか随所に見られる古墳群や中国自然遊歩道の景観、中国縦貫道とを結び、産業と観光をささえる幹道として加茂町民ににとって重要な道路となっています。

加茂町観光マップ

姫谷焼窯跡(ひめたにやき かまあと)

この窯跡は、国道182号線沿いに、三和町境にある姫谷の地にある。 姫谷焼は江戸時代初期、加茂町姫谷で焼かれていたもので、作品はきわめて精巧、皿や椀など薄作りです。色絵や染付けの紋様は、朝顔一輪、椿一枝、紅葉一枝とかいった独特の簡素なものが多く、純日本的・文化的にも高度な作品です。 この姫谷焼は市右門という人が姫谷で焼いたので、この地名が使われており、窯跡は昭和12年に広島県史跡指定されています。

窪田次郎生家跡(くぼたじろう せいかあと)

窪田次郎は我が国の中でも数少ない地方啓蒙化で、1835年(天保6年)加茂町粟根で出生し13才で京都大阪に遊学、27歳の時にふるさとに帰り、父の医業を継承。1871年(明治4年)啓蒙所(小学校の前身)設立。その後、養蚕伝習所・地方開業医公開(医師会の前身)など医業に貢献。

井伏鱒二文学碑(いぶせますじ ぶんがくひ)

明治31年加茂町粟根にて出生。大正12年に早稲田大学を中退し、作家活動に入る。著書には「黒い雨」、「山椒魚」、「ジョン万次郎漂流記」など多くの優れた作品を随筆。その作風は哀愁をおびた詩情と独自のユーモア・庶民の生き方などを描く。

賀茂神社(かもじんじゃ)

清和天皇の貞観6年(864)京都上加茂の賀茂別雷神社の分霊を岩船に請してこの地に奉祀されたものです。

爾来この郷を加茂といい、鎮座の山を加茂山、前を流れる清流を加茂川と称し、その流域には北山、せりふ、高雄、岩倉、貴船、ただす等、京都ゆかりの地名多く、恰も小京加茂の観を呈しています。

石槌山古墳群(いしつちやまこふんぐん)

石槌山古墳群は2基の古墳からなります。丘陵先端部の第1号古墳と、南東側に第2号古墳とあります。第1号古墳は直径20m、高さ3mの円墳で、墳丘の裾の部分と中腹の斜面に石をめぐらせた列石があり、珍しい古墳です。 第2号古墳は、南東側に約20m離れたところにあり、直径約16m、高さ約2mの円墳です。

猪之子古墳(いのここふん)

直径12m、高さ3mの円墳で、内部は羨道の奥に横口の組み合わせ式石槨、羨道ともに古墳は古墳時代終末期(7~8世紀)の地方豪族の墓と推定されています。

昭和25年に広島県指定史跡となっています。

正戸山(しょうとやま)

わが町の最南端部に位置し、その形は円墳の形をしています。昭和天皇がこの神辺平野で戦前に特別な大演習があったとき、この山から統監されたことで有名です。